思いのたけブログ

戦後70年を過ぎ、日本の「平和」、世界の「平和」について思うこと

2016/08/20

たけログ

戦後70年を過ぎ、私が今、思うことを少し書いてみたいと思います。

私は、父が50歳、母が40歳の時の一人っ子です。

私の父は、大正8年生まれで、20代のころ、第二次世界大戦では、択捉島から真珠湾攻撃に従軍し、瑞鳳や飛龍といった航空母艦に乗っていました。

最後は、飛龍が沈んで、海に投げ出され、何時間も立ち泳ぎせざるを得ない状態で、ふかに食べられるのではないかという海域を漂いながら、たまたま通りかかった日本の食料船に拾われ、九死に一生をえました。しかし、その食料船ですら、米軍の船が追尾していたといいます。

つまり、私は「奇跡的に」この世に生を享けたといっても過言ではありません。

ある意味、おじいさん、おばあさんに私は育てられたようなもので、父母の影響で、私の「戦後」に対する歴史観は、同じ世代の友人たちとは少し違っているかもしれません。それは、戦争の生々しい体験を直に聞く機会が多かったですし、関心も人一倍強かったように感じるからです。

そんな父が晩年急に泣き出すことがありました。父の弟、磯二さんのことを思い出すときです。父の後を追い、志願して海軍に入り、沖縄戦に送り込まれ、帰らぬ人となり、遺骨も出てきませんでした。父は自分が海軍だったので、馬乗りの上手な弟に陸軍ではなく、海軍を薦め、おじさんも父の勧めに従い、新兵となりました。その結果、沖縄に行くことになり、亡くなってしまった。運命なのですが、父は自分のせいだと思い、弟のことを思い出し、悔やんで涙をこぼすのです。

私が、「沖縄」に対して特別な思いがあるのも、そのせいかもしれません。

そのため、八女にあった先祖の墓を福岡市に移してからは、必ずお墓参りをした後、私たち家族は、護国神社に行き、英霊として祀られている父の弟、私のおじさんに逢うために、お参りに行っていました。お骨もないので、当時、「英霊として靖国に帰る」と信じて亡くなった若い命の思いを尊重し、敬意をもって、私たちは護国神社へおじさんに「会いに行く」のです。家族みんなに優しい父でしたが、今年3月に96歳で他界いたしました。通夜・葬儀にはたくさんの皆様にご参列いただき、感謝に堪えません。本当にありがとうございました。

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家族で墓参りの後、福岡県護国神社のみたままつりに行った時の写真(上)と沖縄に行ったとき平和の礎に叔父の名前を確認した記念に撮った写真(下)

そして、2016年5月26日・27日には、日本で伊勢志摩サミットがあり、歴史的な出来事として、5月27日、アメリカのオバマ大統領が、初めて被爆地・広島を訪問しました。

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さて、昭和22年に全国行幸なさっていた昭和天皇は、その年の12月7日、核攻撃から2年4カ月後に初めて広島をご訪問なさいました。

当初、マッカーサーをはじめGHQは、行幸中、日本人が昭和天皇に罵声を浴びせたり、石を投げたりするのではないかと想定していたそうですが、逆に、全くそのようなことは起きず、GHQは当惑したそうです。そして、米国が核攻撃をした広島への行幸を慎重に見守った結果、整然と天皇陛下をお迎えする多くの広島における日本人の姿を見たとき、GHQは、天皇と日本国民の絆を恐れ、以降の行幸を一時禁止する事態となったとのことです。

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このように多くの戦前派・戦中派の日本人たちこそ、戦争を戦い、傷つき、斃れ、それでも戦後復興を成し遂げ、この17年後には東海道新幹線、東名高速が開通し、東京オリンピックが開催されるまでに復興していくのです。

父や母が生きた時代、その時代に生きた先達が、どのような思いで、「今」を生きていたのか?

そんなことを考えながら、今年も8月が来て、広島・長崎の原爆の日、終戦記念日とともに、父の初盆を迎えました。

昭和天皇の遺志を引き継がれ、天皇陛下は、宮中祭祀という「祈り」と被災地などを訪問する「行幸啓」を誠実におつとめになってこられました。

「国民とともに歩む」皇室の在り方はどうあるべきかを、美智子皇后とともに真摯にお考えになりながら、まさに全身全霊をもって「象徴の務め」を果たしていらっしゃったのです。

その陛下が以下のようなお言葉をお述べになり、広く国民に分かりやすくお話になったということは、やはり日本国民として重く受け止めるべきと考えます。

時まさに、リオ・オリンピックが開催され、日本人選手が多くのメダルを獲得し、2020年の東京オリンピックに向けて日本が次のステージを目指そうとしている時代になりました。ページがめくられる「とき」を迎えたのだと思います。

日本の伝統、美徳を大切にし、日本国憲法に謳われている「平和主義(戦争の放棄)」の精神を世界に向けて発信していきたい。唯一の被爆国である日本が核武装などしたら、核兵器を持ちたい国に言質を与えてしまうことになります。

戦後70年を過ぎ、日本の「平和」、世界の平和を考えるとき、次世代のために、我々に与えられた「責任世代」をしっかりと全うし、戦争を知らない日本人が90%を超えるようになった日本において、日本の「戦争体験」を風化させず、日本のアイデンティティとして訴え続けていかなければならないと強く思っている次第です。

 

【天皇陛下のお言葉】※ご参照

戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。

私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いをいたすようになりました。

本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えてきたことを話したいと思います。

即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いをいたし、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ケ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。 国民の理解を得られることを、切に願っています。

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今年3月9日に亡くなりました父の初盆に際しましては、たくさんの皆様にご弔問いただき、誠にありがとうございます。謹んで御礼申し上げます。

岳 康宏 拝

 

元自民党副総裁山崎拓著『YKK秘録』出版記念会のご案内

2016/08/06

お知らせ

この度、山崎拓先生が新著『YKK秘録』を講談社から出版なさいます。

つきましては、平成28年9月7日(水)13時30分から天神スカイホールにて、田原総一朗氏を講師に迎え、出版記念会を行います。

詳細は、たけ康宏後援会事務所にお尋ねください。

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総務企画地域振興委員会の管内視察に行って参りました。

2016/08/02

たけログ

【総務企画地域振興委員会管内視察】

総務企画地域振興委員会終了後、常任委員会管内視察として、糟屋郡新宮町と太宰府市を視察いたしました。

◎糟屋郡新宮町「新宮中央駅を活用したまちづくり」について

新宮町は、平成11年に下水処理場(浄化センター)をこの地区に建設することで住民と合意。都市計画マスタープランを変更し、地下に浄水施設を作ることによって、町民の下水処理場に対するイメージを変え、「環境共生」を意識したまちづくりになるよう工夫なさいました。また、浄化センターできれいになった水をあえて水路に流し、子供たちの教育に下水処理場を利用したり、隣接するIKEAなどの商業施設で積極的にトイレの水などに使用していただいたりして活用してるそうです。

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また、この地域の活性化の起爆剤となったのは何といってもJR新宮中央駅を誘致することに成功したことでしょう。コンパクトシティーの核として位置付け、市街化調整区域を市街化区域へ編入することで住宅及び商業施設の誘致にもつながり、今では毎年約1000人も人口が増えるまでに成長しているとのことでした。

今まで福岡になかったIKEAやカインズの誘致に成功したことも大きいでしょうね。

191-SINGU-C11[1]◎「IKEA福岡新宮の省エネ、再エネ等への取り組みについて」

新宮町新宮中央駅前に隣接するIKEA。この地区の顔として2012年の営業開始以来、九州全域からお客様がお見えになっているとのことです。

そんな中、今回は、IKEAが積極的に取り組まれている地中熱や太陽光などを利用した省エネ・再エネへの取り組みについて視察してまいりました。

IKEAは開業当初から太陽光パネル4840枚、発電容量750kwの太陽光発電と、熱交換器を地中100mに70本埋設し冷却能力527kw、加熱能力530kwの地中熱利用を行っています。太陽光発電は全て九州電力に売電していて、地中熱利用については店内空調への活用をすることによって消費電力量を従来のシステムから38%削減することに成功。また、単に地中熱を利用するだけでなく、そのオペレーションに色々な工夫を凝らし、例えば、あえて夜間も冷房することによって、施設全体をオープン前に急に冷やす手間を省き、負荷を減らしています。

そのようにエネルギーの効率化を図り、きめ細く、毎年異なったタスクを試して運用改善を繰り返すことによって環境に優しい独創性と普及性がある省エネを実現する取り組みをIKEAさんはおこなっているそうです。

その甲斐あって、省エネ大賞2015で審査委員会特別賞を受賞するなど、IKEAさんは様々な賞を受賞なさっています。IMG_5245-COLLAGE[2]

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◎太宰府市文化ふれあい館「日本遺産認定までの取り組みと今後の活用」「観世音寺地区歴史的風致維持向上地区計画」

文化庁が進める「日本遺産」というものがあります。日本遺産(Japan Heritage)」は(地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。  ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を,地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的としています。

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太宰府市は地域に点在する天満宮や大宰府政庁跡などの文化財をストーリー化し、平成27年4月に「古代日本の『西の都』〜東アジアとの交流拠点〜」として日本遺産に認定されました。認定されるには単に物語を羅列するのでなく、今までにないストーリーを新たなに加える努力をなさったそうです。

その認定されたストーリーはこちらで読むことが出来ます↓ぜひ覗いてみてください。

http://www.dazaifu-japan-heritage.jp/nihon_isan/index2.php

七重塔の模型。10分の1の大きさですが、これでも総工費1億だそうです。

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この瓦は、鴻臚館の瓦と一緒だそうです。やはり鴻臚館と大宰府は連動していた証ですね。歴史のロマンを感じますね。

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旧福岡県公会堂貴賓館の利活用について

2016/08/01

たけレポート

平成28年6月16日(木)、福岡県議会6月定例会において、旧福岡県公会堂貴賓館の利活用について一般質問させていただきました。

質問の内容は以下の通りです。

自民党県議団の岳康宏です。

通告に従って、一般質問させていただきます。

私は地元福岡市中央区西中洲にある旧福岡県公会堂貴賓館の利活用について質問いたします。

まず、平成28年熊本地震によって甚大な被害を受けた熊本県、大分県、福岡県八女市などの皆さまに衷心よりお見舞い申し上げます。

皆さま、報道等でご承知のとおり、熊本城は石垣が崩れ、櫓や城門など国の重要文化財に指定されている13の建築物全てが深刻な被害を受けています。

私は、旧福岡県公会堂貴賓館について質問するにあたり、現地視察をさせていただきました。

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入館料を払い、建物の中を拝見しますと、1階には福岡西方沖地震での被災状況を示した写真や旧県庁解体時に掘り起こした大正2年(定礎式で)埋蔵のタイムカプセルを手にする当時の奥田知事の新聞記事などが展示してありました。また、2階には旧県庁舎と貴賓館の昔の姿を示す模型や福岡県内の他の重要文化財の写真が飾ってあるだけで、残念ですが、また240円の入館料を払って見に行こうとは思えない展示内容でございました。

そこで良い機会ですので、質問いたします。

福岡県内には国指定の重要文化財はいくつあって、福岡県西方沖地震、

(被災者が「り災証明書」または「被災証明書」を示せば、240円の入館料を免除する)東日本大震災、熊本地震の教訓を踏まえて県内の重要文化財が被災した場合の対策はどのように行うこととしているのか、また、現在の旧福岡県公会堂貴賓館の利用者数を教えてください。

 

今、天神は、本社機能移転やホテルの誘致を促進するため容積率の緩和や建物の耐震化を図り、福岡市天神地区の新たな空間と雇用をつくり出すためのプロジェクト「天神ビッグバン」構想が動き始めようとしています。

その第一弾として西鉄が手掛ける賑わいと観光のランドマーク、水上公園も現在改修が進んでおります。

2階建ての休憩施設の1階部分には“世界一の朝食”と称されたスクランブルエッグやリコッタチーズパンケーキなどで有名なオーストラリア発のカジュアルダイニング「bills」が西日本初出店。2階にはミシュランガイド福岡・佐賀にも掲載された福岡市博多区須崎にある香港料理をベースとした人気店の出店が決まっています。

また、フランス・ボルドー市の生産者らでつくるボルドーワイン委員会の公認で米・ニューヨーク、中国・上海に続き世界で3番目となるワインバーが貴賓館入口に出来ました。店内からは貴賓館の様子も見ることができ、あたかも貴賓館をフランスのシャトーに見立てたかのような演出で希少なワインを一堂に集め、姉妹都市である福岡市とボルドー市の交流の架け橋となるような店構えでした。

このように旧福岡県公会堂貴賓館の周辺環境は、福岡市や民間企業の仕掛けで劇的に変わろうとしています。かつて天神一丁目1番1号は福岡県庁があり、今はアクロス福岡となっています。

天神中央公園も福岡市役所前広場に負けないように、福岡県農林水産祭りなどの企画を考え、試行錯誤しながら”にぎわい”を持たせる努力を行っていらっしゃいます。

しかし、天神から中洲に向かう観光客や周辺住民の方々からは、比較的旧福岡県公会堂貴賓館が暗く、人けもまばらでなんか淋しい、午後5時以降は正面玄関が閉まっているので、レストランにどこから入ればよいのかわからないと言ったお話をよく聞きます。

是非とも県民や観光客の皆さまのご意見に耳を傾け、文化財保護の観点から制約はありましょうが、賑わいを持たせられるような福岡県として恥ずかしくない展示内容にしていただきたいと思います。

そこで質問いたします。

旧福岡県公会堂貴賓館に賑わいを持たせるため、今後どのような取り組みを図ろうとなさっているのかお示しください。

 

福岡県内にある国指定重要文化財には旧門司三井倶楽部があります。現在は「門司港レトロめぐり海峡めぐり推進事業」において門司港駅前に移転し、ゆかりのある林芙美子資料館やアインシュタイン・メモリアルルームを常設しています。

目玉となる常設の展示を置くことで、人が寄りやすくなりますし、貴賓館の立地を考えると、天神と中洲を結ぶど真ん中に位置し、例えば、世界で九州だけである近代化産業遺産について世界遺産と世界記憶遺産を同時に持つ福岡県をアピールしたり、2017年の世界遺産登録を目指す『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群と同じく2017年の世界の記憶(世界記憶遺産)登録を目指す福岡県も関係する「朝鮮通信使」のコラボ企画を行ったりして、「福岡県」を感じさせる企画・展示を行ってはどうか?

または、八女伝統工芸館や芦屋釜の里に見られるような子どもたちなどの体験型の企画や星野民芸、大川家具、大川組子などの福岡県の工芸品、伝統文化を味わえる展示を考えていただきたい。

そして、同じような国指定重要文化財を利活用している例として、福島県の迎賓館、「天鏡閣」も参考になるのではないでしょうか。

運営は、物産プラザフクシマ、福島県観光開発公社及び福島県観光連盟が統合して発足した福島県観光物産交流協会が行っており、事業報告やFacebook、ブログ、ホームページで積極的に、展覧会や作品の展示、コンサート、発表会各種教室や講座の募集を行い、使用料金は無料になっています。

福島県、京都府のように文化財を「観光」という視点も取り入れて、福岡県の魅力を発信していただきたい。

観光客や若者を引き付けるための「夜の演出」、例えば、2012年9月、東京駅丸の内駅舎の復元を記念して行われたプロジェクションマッピングという建物や空間などに映像を映し出し、リアルとバーチャルをシンクロさせる映像技術を使って貴賓館に注目が集まるようにしていただきたい。

西鉄が天神の由来にもなった水鏡天満宮の移設も含め再開発を計画する、毎日新聞会館、西鉄インがある場所には、その昔、福岡県商品陳列所があり、昭和3年洋画家児島善三郎のヨーロッパ滞在時の作品80点が発表された記録が残っています。

食・文化・観光を通して、「福岡県を感じることができる」福岡県の観光文化の発信拠点、福岡県の天神におけるアンテナショップとして旧福岡県公会堂貴賓館を位置づけられないか。

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そこで質問いたします。

福岡県の宝、貴重な財産で最高のロケーションに位置する旧福岡県公会堂貴賓館を今後どのように活性化していくおつもりなのか教育長のご所見を最後にお尋ねして私の一般質問を終わります。

 

【教育長答弁】

◎ 旧福岡県公会堂貴賓館の沿革と利用者数についてでございます。

旧福岡県公会堂貴賓館は、明治43年に建築された後、昭和56年まで県の公会堂や福岡県教育庁舎など様々な施設として利用されておりましたが、昭和59年、国の重要文化財に指定を受け、本来の姿に修理・復元されて、その保存と活用を図っているところでございます。

明治時代を代表するフレンチルネッサンス様式の木造公共建築として公開され、平成27年度には、県内外から、約6,000人の方に見学いただいたほか、婚礼用の写真撮影などの利用が、182件なされております。

◎ 旧福岡県公会堂貴賓館の地震対策についてでございます。

平成17年3月20日に発生した、福岡県西方沖地震では、貴賓館におきましても、建物内外の壁面の亀裂、天井の崩落などの被害を受けたことから、平成17年度から3年間かけて国の補助により災害復旧事業に取り組みました。

この事業において、耐震診断を実施し、壁の内部に金属の補強を入れるなどの地震対策を行っております。

◎ 旧福岡県公会堂貴賓館に賑わいを持たせるための取組みについてでございます。

貴賓館では、市民ボランティアによる解説をはじめ、コンサートや展示会などの事業を実施しております。また、観光案内情報誌への掲載、ホームページでの周知などにより、貴賓館を広く知っていただき集客を図るための取組みを行っております。

今後も、貴賓館の利用促進に向けた取組みを充実させるため、指定管理の募集を工夫したり、有識者の意見を取り入れて福岡県の特色ある伝統文化等の展示を行うなど、賑わいの創出を図ってまいります。

◎立地を活かしました旧福岡県公会堂貴賓館の活性化についてでございます。

貴賓館は国指定の重要文化財であるだけでなく、福岡市中心部の近代化を物語る、貴重な歴史遺産であります。

この貴賓館の歴史的意義や建築物自体の価値を活かしながら、周辺地域の変化をくみ取り、例えば夜間ライトアップの実施回数を増やしたり、オープンカフェを設けるなど、周囲の賑わいにつながるような貴賓館の活用方策を、検討してまいります。