思いのたけブログ

安全・安心パレード参加のお願い

2016/10/07

お知らせ

今年1月に福岡市中央区春吉小学校近くで火炎瓶が投げ込まれる事件が起きましたが、この度、下記の新聞記事にもありますように、住民の皆様に代わって福岡県暴力追放運動推進センターが暴力団事務所の使用差し止めを求め仮処分申請していた件で、福岡地裁が全国初で使用禁止を認める決定をいたしました。

その決定を受ける形で、この度、平成28年10月13日(木)16時から春吉公園集合で『安全・安心パレード』が行われます。

地域住民の皆さまのご理解のもと、着実に一歩ずつ暴力追放運動が前進していることを感じますし、福岡県警察の三大目標の一つである暴力団の壊滅に向けてのパレードであります。

お忙しいとは存じますが、是非ともお一人でも多くの皆様のご参加をお願い申し上げます。

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暴力団事務所の使用禁止決定
福岡地裁仮処分、全国初

火炎瓶が投げ込まれる事件が1月に起きた福岡市中央区の指定暴力団山口組系一道会の事務所について、福岡県暴力追放運動推進センターが周辺住民に代わり使用差し止めを求めた仮処分申請で、福岡地裁(渡部みどり裁判官)が使用禁止を認める決定を出したことが28日分かった。決定は12日付。2013年施行の改正暴力団対策法で導入された「代理訴訟制度」で、仮処分の申し立てが認められたのは全国で初めて。

仮処分が認められたことで、一道会は事務所を使用できなくなる。同地裁の執行官が28日午後、事務所に決定内容を公示する保全執行をした。県警は「引き続き仮処分の執行状況、事務所の使用実態を監視していく。今後も暴追センターと連携し、こうした実績を積んでいきたい」としている。県暴追センターは使用差し止めを求める本訴も検討している。

一道会事務所を巡っては1月、抗争状態にある指定暴力団神戸山口組系の組長ら3人が共謀し、火炎瓶2本を投げ込んだとして火炎瓶処罰法違反などの罪で起訴され、いずれも実刑判決を受けている。事務所近くには小学校もあり、事件後、県警と周辺住民が事務所撤去を求める大会や暴追パレードを展開。住民18人から委託を受けた県暴追センターが8月10日、使用差し止めを求める仮処分を福岡地裁に申し立てていた。

改正暴対法の代理訴訟は、国家公安委員会から適格団体と認定された暴追センターが、住民の委託を受け、組事務所の使用差し止め請求訴訟の原告となる制度。住民が矢面に立たずに訴訟を起こしやすくするのが狙い。これまで広島、埼玉両県で適用した例がある。

=2016/09/29付 西日本新聞朝刊=

 

戦後70年を過ぎ、日本の「平和」、世界の「平和」について思うこと

2016/08/20

たけログ

戦後70年を過ぎ、私が今、思うことを少し書いてみたいと思います。

私は、父が50歳、母が40歳の時の一人っ子です。

私の父は、大正8年生まれで、20代のころ、第二次世界大戦では、択捉島から真珠湾攻撃に従軍し、瑞鳳や飛龍といった航空母艦に乗っていました。

最後は、飛龍が沈んで、海に投げ出され、何時間も立ち泳ぎせざるを得ない状態で、ふかに食べられるのではないかという海域を漂いながら、たまたま通りかかった日本の食料船に拾われ、九死に一生をえました。しかし、その食料船ですら、米軍の船が追尾していたといいます。

つまり、私は「奇跡的に」この世に生を享けたといっても過言ではありません。

ある意味、おじいさん、おばあさんに私は育てられたようなもので、父母の影響で、私の「戦後」に対する歴史観は、同じ世代の友人たちとは少し違っているかもしれません。それは、戦争の生々しい体験を直に聞く機会が多かったですし、関心も人一倍強かったように感じるからです。

そんな父が晩年急に泣き出すことがありました。父の弟、磯二さんのことを思い出すときです。父の後を追い、志願して海軍に入り、沖縄戦に送り込まれ、帰らぬ人となり、遺骨も出てきませんでした。父は自分が海軍だったので、馬乗りの上手な弟に陸軍ではなく、海軍を薦め、おじさんも父の勧めに従い、新兵となりました。その結果、沖縄に行くことになり、亡くなってしまった。運命なのですが、父は自分のせいだと思い、弟のことを思い出し、悔やんで涙をこぼすのです。

私が、「沖縄」に対して特別な思いがあるのも、そのせいかもしれません。

そのため、八女にあった先祖の墓を福岡市に移してからは、必ずお墓参りをした後、私たち家族は、護国神社に行き、英霊として祀られている父の弟、私のおじさんに逢うために、お参りに行っていました。お骨もないので、当時、「英霊として靖国に帰る」と信じて亡くなった若い命の思いを尊重し、敬意をもって、私たちは護国神社へおじさんに「会いに行く」のです。家族みんなに優しい父でしたが、今年3月に96歳で他界いたしました。通夜・葬儀にはたくさんの皆様にご参列いただき、感謝に堪えません。本当にありがとうございました。

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家族で墓参りの後、福岡県護国神社のみたままつりに行った時の写真(上)と沖縄に行ったとき平和の礎に叔父の名前を確認した記念に撮った写真(下)

そして、2016年5月26日・27日には、日本で伊勢志摩サミットがあり、歴史的な出来事として、5月27日、アメリカのオバマ大統領が、初めて被爆地・広島を訪問しました。

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さて、昭和22年に全国行幸なさっていた昭和天皇は、その年の12月7日、核攻撃から2年4カ月後に初めて広島をご訪問なさいました。

当初、マッカーサーをはじめGHQは、行幸中、日本人が昭和天皇に罵声を浴びせたり、石を投げたりするのではないかと想定していたそうですが、逆に、全くそのようなことは起きず、GHQは当惑したそうです。そして、米国が核攻撃をした広島への行幸を慎重に見守った結果、整然と天皇陛下をお迎えする多くの広島における日本人の姿を見たとき、GHQは、天皇と日本国民の絆を恐れ、以降の行幸を一時禁止する事態となったとのことです。

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このように多くの戦前派・戦中派の日本人たちこそ、戦争を戦い、傷つき、斃れ、それでも戦後復興を成し遂げ、この17年後には東海道新幹線、東名高速が開通し、東京オリンピックが開催されるまでに復興していくのです。

父や母が生きた時代、その時代に生きた先達が、どのような思いで、「今」を生きていたのか?

そんなことを考えながら、今年も8月が来て、広島・長崎の原爆の日、終戦記念日とともに、父の初盆を迎えました。

昭和天皇の遺志を引き継がれ、天皇陛下は、宮中祭祀という「祈り」と被災地などを訪問する「行幸啓」を誠実におつとめになってこられました。

「国民とともに歩む」皇室の在り方はどうあるべきかを、美智子皇后とともに真摯にお考えになりながら、まさに全身全霊をもって「象徴の務め」を果たしていらっしゃったのです。

その陛下が以下のようなお言葉をお述べになり、広く国民に分かりやすくお話になったということは、やはり日本国民として重く受け止めるべきと考えます。

時まさに、リオ・オリンピックが開催され、日本人選手が多くのメダルを獲得し、2020年の東京オリンピックに向けて日本が次のステージを目指そうとしている時代になりました。ページがめくられる「とき」を迎えたのだと思います。

日本の伝統、美徳を大切にし、日本国憲法に謳われている「平和主義(戦争の放棄)」の精神を世界に向けて発信していきたい。唯一の被爆国である日本が核武装などしたら、核兵器を持ちたい国に言質を与えてしまうことになります。

戦後70年を過ぎ、日本の「平和」、世界の平和を考えるとき、次世代のために、我々に与えられた「責任世代」をしっかりと全うし、戦争を知らない日本人が90%を超えるようになった日本において、日本の「戦争体験」を風化させず、日本のアイデンティティとして訴え続けていかなければならないと強く思っている次第です。

 

【天皇陛下のお言葉】※ご参照

戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。

私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いをいたすようになりました。

本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えてきたことを話したいと思います。

即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いをいたし、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ケ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。 国民の理解を得られることを、切に願っています。

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今年3月9日に亡くなりました父の初盆に際しましては、たくさんの皆様にご弔問いただき、誠にありがとうございます。謹んで御礼申し上げます。

岳 康宏 拝

 

元自民党副総裁山崎拓著『YKK秘録』出版記念会のご案内

2016/08/06

お知らせ

この度、山崎拓先生が新著『YKK秘録』を講談社から出版なさいます。

つきましては、平成28年9月7日(水)13時30分から天神スカイホールにて、田原総一朗氏を講師に迎え、出版記念会を行います。

詳細は、たけ康宏後援会事務所にお尋ねください。

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総務企画地域振興委員会の管内視察に行って参りました。

2016/08/02

たけログ

【総務企画地域振興委員会管内視察】

総務企画地域振興委員会終了後、常任委員会管内視察として、糟屋郡新宮町と太宰府市を視察いたしました。

◎糟屋郡新宮町「新宮中央駅を活用したまちづくり」について

新宮町は、平成11年に下水処理場(浄化センター)をこの地区に建設することで住民と合意。都市計画マスタープランを変更し、地下に浄水施設を作ることによって、町民の下水処理場に対するイメージを変え、「環境共生」を意識したまちづくりになるよう工夫なさいました。また、浄化センターできれいになった水をあえて水路に流し、子供たちの教育に下水処理場を利用したり、隣接するIKEAなどの商業施設で積極的にトイレの水などに使用していただいたりして活用してるそうです。

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また、この地域の活性化の起爆剤となったのは何といってもJR新宮中央駅を誘致することに成功したことでしょう。コンパクトシティーの核として位置付け、市街化調整区域を市街化区域へ編入することで住宅及び商業施設の誘致にもつながり、今では毎年約1000人も人口が増えるまでに成長しているとのことでした。

今まで福岡になかったIKEAやカインズの誘致に成功したことも大きいでしょうね。

191-SINGU-C11[1]◎「IKEA福岡新宮の省エネ、再エネ等への取り組みについて」

新宮町新宮中央駅前に隣接するIKEA。この地区の顔として2012年の営業開始以来、九州全域からお客様がお見えになっているとのことです。

そんな中、今回は、IKEAが積極的に取り組まれている地中熱や太陽光などを利用した省エネ・再エネへの取り組みについて視察してまいりました。

IKEAは開業当初から太陽光パネル4840枚、発電容量750kwの太陽光発電と、熱交換器を地中100mに70本埋設し冷却能力527kw、加熱能力530kwの地中熱利用を行っています。太陽光発電は全て九州電力に売電していて、地中熱利用については店内空調への活用をすることによって消費電力量を従来のシステムから38%削減することに成功。また、単に地中熱を利用するだけでなく、そのオペレーションに色々な工夫を凝らし、例えば、あえて夜間も冷房することによって、施設全体をオープン前に急に冷やす手間を省き、負荷を減らしています。

そのようにエネルギーの効率化を図り、きめ細く、毎年異なったタスクを試して運用改善を繰り返すことによって環境に優しい独創性と普及性がある省エネを実現する取り組みをIKEAさんはおこなっているそうです。

その甲斐あって、省エネ大賞2015で審査委員会特別賞を受賞するなど、IKEAさんは様々な賞を受賞なさっています。IMG_5245-COLLAGE[2]

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◎太宰府市文化ふれあい館「日本遺産認定までの取り組みと今後の活用」「観世音寺地区歴史的風致維持向上地区計画」

文化庁が進める「日本遺産」というものがあります。日本遺産(Japan Heritage)」は(地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。  ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を,地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的としています。

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太宰府市は地域に点在する天満宮や大宰府政庁跡などの文化財をストーリー化し、平成27年4月に「古代日本の『西の都』〜東アジアとの交流拠点〜」として日本遺産に認定されました。認定されるには単に物語を羅列するのでなく、今までにないストーリーを新たなに加える努力をなさったそうです。

その認定されたストーリーはこちらで読むことが出来ます↓ぜひ覗いてみてください。

http://www.dazaifu-japan-heritage.jp/nihon_isan/index2.php

七重塔の模型。10分の1の大きさですが、これでも総工費1億だそうです。

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この瓦は、鴻臚館の瓦と一緒だそうです。やはり鴻臚館と大宰府は連動していた証ですね。歴史のロマンを感じますね。

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